燃焼と酸化

ジェット旅客機がなぜ飛べるかわかりますか。「燃料を空気と混ぜて燃焼させて後ろに噴射して揚力が生じるからですね。」そうですね。それじゃあ、宇宙ロケットはどうかな。周りの宇宙空間には空気はないけれど。「あれ、そうですね・・・。」


じつはロケットの場合はロケットエンジンの場合には燃料の水素と燃焼に必要な酸素の両方を積んでいるんです。ロケットが長いのはその両方のタンクがあるからです。長さの半分以上がタンクです。


現在主流のHⅡAロケットは人工衛星などの荷物が多いとき、推進力を大きくしたいときには固体燃料ブースターを増やすことができる設計になっています。


ですからロケットの場合には周りに酸素がなくても飛ぶことができます。そのロケットエンジンの推進力で宇宙まで打ち上げられます。宇宙まであの大きなものを打ち上げるのですから、膨大なエネルギーが必要です。


ロケットの燃料タンクは究極まで薄くした材質のもので作られています。大量の液体水素と液体酸素をたくさん積んでいます。それをたった数分間で燃焼させてしまいます。


燃焼させたあとにはエネルギーと共に何ができますか。「水です。」そうですね。

 2H + O → 2H

その意味ではロケット燃料はクリーンな燃料ですね。他にも酸素も含んだ固体燃料を使ったロケットもありますよ。

中1でやっておきたいこと

1の皆さんから大学入試は新入試の形式に変わります。

DSCN3930.JPG

記述式の入試が数学と国語で取り入れられます。解答がわかっていてもそれを文章で表現できなくては正解となりません。



しかも解答はコンピュータによる採点が取り入れられる可能性があります。したがって正確で伝わりやすい文章表現が要求されます。



どちらにしてもマークシートで選択式の現在の答え方よりは難しくなることは間違いないでしょう。こういった対策は一朝一夕で身につくことはあり得ません。



すでにその習得の時期です。学校では何も言われていない人が多いとは思います。しかしこのことを念頭に置いて、ことにあたるのとそうでないのとでは大きく結果が違ってくるでしょう。



ふだんの試験や練習のときから、文章で答えることに積極的な態度で果敢に攻めていく態度で接していくことが望まれます。


posted by あまがえる at 18:00Comment(0)中1数学

第一次世界大戦の時代

第一次世界大戦のころの世界についてまとめた問題です。


問1.次の問いに答えよう。

(1)第一次世界大戦のきっかけとなった、オーストリア皇太子夫妻が殺害された事件が起こった都市を下の①〜 ④から選ぼう。

    ① ロンドン   ② サラエボ  ③ バクダッド  ④ パリ 

    

(2)1918年 富山県で始まった米の安売りを求める運動が、全国に広がったできごとを何といいますか。


(3)民族自決の考えに立ち、非暴力・不服従を唱え、完全な自治を求める運動を行ったインドの人物はだれですか。


(4)世界恐慌から太平洋戦争が起こるまでの間に起こったできごとでないものを選ぼう。

 ア)日独伊三国同盟を結ぶ  

  イ)国際連盟を脱退する 

  ウ)サンフランシスコ平和条約を結ぶ


(5)第一次世界大戦時には日本と同盟を結び、第二次世界大戦では対戦国となった国を選ぼう。

 ア)ドイツ   イ)イタリア   ウ)イギリス

(6)韓国の植民地化の当時、実際に韓国で行われたことを選ぼう。

  ア)韓国人に、朝鮮語を教えることを禁止し、日本史や日本語を教えた。

  イ)朝鮮農民の土地がうばわれ、小作人になったり、日本への移住を余儀なくされた。

  ウ)鉄道が敷かれ、南満州鉄道株式会社と呼ばれた。


答え(1) ② (2)米騒動 (3)ガンディー (4)ウ (5)ウ  (6)ア





posted by あまがえる at 18:00Comment(0)歴史

武家政権の成立 

武家による鎌倉幕府の成立に関する問題です。

1.下から言葉を選んで(  )に入れよう。
(1)平清盛は、武士ではじめて( ① )大臣となりました。( ② )の港を整備し中国と貿易しました。貴族や寺社は平氏の政治に不満をもち、源頼朝が、( ➂ )とともに平家を滅ぼしました。

(2)その後、頼朝は義経と対立し、それを口実に国ごとに( ④ )、荘園・公領ごとに( ⑤ )を置き、義経は逃れていた奥州の( ⑥ )氏とともに滅ばされました。

(3)1192年、頼朝は,征夷大将軍に任じられ、鎌倉に( ⑦ )幕府を開きました。将軍は部下の( ⑧ )の領地を保護しました。これを(  ⑨ )といいます。一方、御家人は将軍に忠誠をちかい、( ⑩ )しました。

(4)頼朝の死後、御家人の( ⑪ )は将軍の力をうばい、自ら( ⑫ )の地位につき、政治を行いました。
   1221年、( ⑬ )上皇が起こした承久の乱ののち、幕府は京都に( ⑭ )が置かれ朝廷は監視されました。
  
選択肢: 太政 兵庫 源義経 守護 地頭 藤原 鎌倉 御家人 ご恩   奉公 北条時政 執権 後鳥羽 六波羅探題
 
答え:①太政 ②兵庫 ➂源義経 ④守護 ⑤地頭 ⑥藤原 ⑦鎌倉 ⑧御家人 ⑨ご恩 ⑩奉公 ⑪北条時政 ⑫執権 ⑬後鳥羽 ⑭六波羅探題

2.(  )に下から選んで適当な言葉を入れよう。
(1)保元・平治の乱に勝った平清盛は、のちに太政大臣となりました。兵庫の港を整備し中国と貿易しました。貴族や寺社は平氏の政治に不満をもち、( ① )が、源義経とともに平家を滅ぼしました。

(2)源頼朝は、義経と対立し、それを口実に国ごとに守護、荘園・公領ごとに地頭を置き、義経は逃れていた( ② )の藤原氏とともに滅ばされました。

(3)年、頼朝は,征夷大将軍に任じられ、( ➂ )に鎌倉幕府を開きました。将軍は部下の御家人の領地を保護しました。これをご恩といいます。一方、御家人は将軍に忠誠をちかい、奉公しました。

(4)頼朝の死後、御家人の北条時政は将軍の力をうばい、自ら執権の地位につき、政治を行いました。( ④ )年、後鳥羽上皇が起こした、( ⑤  )の乱ののち、幕府は京都に六波羅探題が置かれ( ⑥ )は監視されました。

選択肢: 源頼朝 奥州 1192 鎌倉  1121 承久 朝廷

答え: ①源頼朝 ②奥州 ➂1192 ④鎌倉 ⑤1121 ⑥承久 ⑦朝廷 

3.(  )に下から選んで適当な言葉を入れるか、問いに答えよう。
・ 平清盛らの平氏一族が政権につき、荘園を自らのものにしたところ、貴族や寺社の不満が増し各地の武士が兵を上げました。なかでも東国を支配していた(  ① )は弟の義経とともに、平氏を滅ぼしました。

(1)①に入れる適当なことばを選ぼう。 
   源義家 源頼朝 平清盛 藤原純友

(2)文中、伊豆の①とはべつに、木曽でそれぞれ反乱を起こした人物はだれですか。記号で選ぼう。
    ア)平将門  イ)平清盛  ウ)源義仲  エ)藤原純友

(3)下線部、平氏が滅んだのはどこですか。(  )   
    壇ノ浦  奥州  本能寺

(4)平清盛は関西のあるところに、港をつくり、中国と貿易をしました。どこでしょう。(  )
    ア)下田  イ)兵庫  ウ)博多  エ)長崎  
 
(5)義経は兄の頼朝と対立し、ある豪族のもとに逃れました。その豪族とはだれですか。またその豪族の本拠地はどこですか。
    豪族名:(  )  ア)藤原氏  イ)北条氏  ウ)足利氏  
    本拠地:(  )  ア)大阪   イ)平泉   ウ)鎌倉

答え(1)源頼朝(2)ウ (3)壇ノ浦 (4)イ (5)豪族:ア、本拠地:イ

4.つぎの問いに答えよう。
・征夷大将軍についた源頼朝は、(①)幕府を開き、②御家人に領地を与え保護しました。御家人は将軍に忠誠をちかいました。頼朝の死後(  )氏が実権を握りました。反乱を起こした後鳥羽上皇を抑え、朝廷を監視しました。

(1)①にあてはまる字句と、幕府が開かれた年号をあげよう。 
    ①(  )、年号

(2)下線部②をそれぞれ、何というか。(  )と(  ) 
 
(3)頼朝が国ごとにおいたもの、荘園・公領ごとにおいたものをそれぞれ何というか。(  )、(  )

(4)2行目下線部の反乱を何といいますか。(  )

答え(1)鎌倉幕府、1192 (2)御恩、奉公 (3)守護、地頭 (4)承久の乱

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中学総合的研究問題集 社会 改訂版
posted by あまがえる at 18:00Comment(0)歴史

受験勉強の第一歩

中3の方はそろそろ受験勉強に着手してもよい時期ですので読んでみてください。塾にも行かずに、学校の宿題だけで自分で勉強してきて、「受験かぁ~と思ってネットを検索したらこのページが出てきた人もいるでしょう。」


私もこのタイプでした。過去を振り返って自分だけで受験を迎えるメリットとデメリット、そのほかをお伝えします。


メリットは何よりも時間を自由に使えることです。特に夏休み前にはほとんどの中3のかたは部活も引退するわけですから、自由な時間ができます。


「じゃあ、先生は中3の夏休みは何をしていたの?」じつはプールに行ってました。中3の夏が一番プール通いをしていたと思います。友達と近所にあるプールはほとんど行ったと思います。


なぜ受験生がそんなことをしたかというと、中3にもなって25メートルをなかなか泳げなかったから。その克服のため、同じ目標の友人と通うことにしました。2日に一度は通っていたかもしれません。


おかげでお盆前の頃には色が黒くなりましたが、おかげで50mは泳げるようになりました。やればできると自信につながりました。その友人も同じことを言っていました。


それと同じ頃、もうひとつはまってやったことがありました。当時はインターネットなどありません。ですから、ラジオで洋楽を聴くのが面白いことを知りました。特にビートルズの音楽の素晴らしさに目覚めて、週1回、ラジオのある番組を楽しみにして聴いていました。


おかげで数曲の例外を除き、ビートルズの100曲ほどの曲をテープに収めることができました。


では話を中3の春にもどして、つぎに自分だけで受験勉強する際に気をつけたいことを示します。


このような生活でしたから私の場合には受験生とはいえ、学校から与えられていたもの以外はほとんど何もしていませんでした。つまり自分でここを修正しようとか対策をたてて補強しようなどという考えは当時の自分にはなかったようです。


このつけは受験では出ませんでしたが、高校に入ってから出てしまいました。自分で自分の補強すべき学習法が身についていなかったといえますから、当然どこがでそれが露呈するのが必定です。


案の定、高校で部活に専念していた私は、中学校とおなじような我流の勉強しかしていませんでした。そのため、高1の1学期の成績は終わってみると散々なものでした。入学時は上から数えた方が早いほどの成績が、1学期の終わりには学年の下から数えた方が早いほどに落ちてしまいました。


1学年に450人いる学校でしたから、その400人に抜かれた落ち込み方は悲惨なものでした。当時の写真をみると自信なげな表情をしています。


そこから挽回することの大変さを身に染みて感じました。その時の経験が今に生きているといっても過言ではありません。


何が言いたいかはもうおわかりかと思います。ぜひこの失敗談を活かしてください。