最澄と空海 覚え方

平安時代の最澄と空海、このふたりの僧について混乱しやすいのでまとめました。少し難しめ(一部高校レベルを含みますので、そこは適宜省いてください)。


まずは最澄(伝教大師767-822)から

近江の国の生まれ

804年 唐に渡る 

805年 法華経中心の天台の教えを受け帰国 

比叡山延暦寺の建立・・・山岳仏教の開始  天台宗(台密) 

大乗戒壇の設置*(死後)・・・南都六宗から独立、日本仏教の中心に 

                   →それまで東大寺戒壇 

主著「顕戒論(けんかいろん)」「山家学生式(さんげがくしょうしき)」

特徴・・・中国天台に密教・禅・戒の要素を加えた日本独自のもの。

      法華経を最高権威とする。

後継者・・・円仁(えんにん):山門派(延暦寺)

       円珍(えんちん):寺門派(園城寺) 

      両者は対立し、この頃から密教の要素が加わる。


*)仏門に入る人はそれまで東大寺で仏の定めた戒律(守るべき定め)を受け(受戒)ていました。ここで鑑真(688?-763)から受戒を受けていました。聖武天皇も受戒を受けたとされています。


こうして出家して僧になろうとする人は、仏教の戒めや定めを学び、受戒を受けてお墨付きをもらわないといけなかったのです。


ところが最澄は独自の戒壇を設けることを主張し、やっと死後に認められました。浄土教の源信や鎌倉の新仏教の開祖たちもここで学びました。当然それまでの奈良を中心にした南都六宗の宗派からは反対されました。


そして空海(弘法大師、こうぼうだいし774-835

讃岐の国の生まれ

804年 唐に渡る 

806年 密教の奥義を究め帰国 

高野山金剛峯寺の建立・・・密教の中心  真言宗(東密)

東寺(教王護国寺)を嵯峨天皇から賜る

主著「三教指帰(さんごうしいき)」

特徴・・・秘密の呪法によって悟りを開くという密教。加持祈祷(かじきとう)で災いをさけ、現身のままで即身成仏(そくしんじょうぶつ)できると説く。→現世利益(げんぜりやく)の立場から、貴族たちの信仰を集める。


このふたりは遣唐使として同じ船に乗り唐に渡りました。最澄が37歳のときです。最澄のほうが7つ年上でした。のちに帰国後ふたりはそれぞれ密教の二大中心地を築いていきます。


真言宗のほうは真言密教として宮中などでも広く教えが広まり、国家密教としての地位が定まりました。また空海は身分に関係なく学ぶことのできた綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という学校を設立しました。


このふたり、遣唐使として乗った船も一緒ということからして志は似ていたわけで、ふたりの仲はどうだったのでしょう。興味深いですよね。さまざまネットや本にあるようですから夏休みの今、しらべてみてはどうですか。




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