大日本帝国憲法の発布に関して

不平等条約の改正を米国などに頼んだところ、法律も整っていない国の条約を見直す気はないとあしらわれたといわれています。


そこで明治政府は、諸外国の法律や政治制度を学びます。なかでも伊藤博文はヨーロッパに出向き、プロシアの憲法を研究しました。プロシアの憲法は君主制をもとにした憲法なので天皇制をもつ日本としては参考になるという考えがありました。


日本にもどり、憲法の起草と諸制度を調査しました。そして内閣制度を創設します(1885年)。そして伊藤博文が初代の内閣総理大臣となります。


そしてついに大日本帝国憲法の発布となります(1889年)。同時に様々な政治に関する法律を整備しました。興味深いのは民法はフランスの法律をもとにしたところです。憲法はプロシア、民法はフランス。おそらく、その整合性に苦心したことだろうと思います。


憲法の内容として、

欽定憲法…主権は天皇

天皇大権…陸海軍を統帥(とうすい)し、条約の締結、議会の解散権など大きな権限を持っていました。

内閣…天皇にのみ責任を負いました。

国会…衆議院(選挙)、貴族院(皇族、華族など)の二院制

予算…衆議院に予算の先議権がありました。ここは現在と同じです。


この憲法の発布を受けて、衆議院議員選挙が開催されました(1890)



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