平安時代 用語練習問題

平安時代でよく使う用語のチェックです。

教科書によって用語は表現のしかたなどが異なりますからその点は注意して使ってください。

右側の用語の部分を紙で隠して、言えるか(書けるか)確認していくといいです。


)桓武天皇が京都に作った都      平安京

)平安京に都が移された年       794年

)平安京に都があった時代       平安時代

)最澄が建てた寺           延暦寺

)最澄が広めた仏教の宗派       天台宗


)天台宗を広めた僧          最澄

)空海が建てた寺           金剛峯寺

(8)空海が広めた仏教の宗派       真言宗

)真言宗を広めた僧          空海

10)藤原氏で最も栄え関白となった人物  藤原道長


11)藤原氏が進めた政治         摂関政治

12)9世紀に中国を統一した国      宋

13)新羅の後に朝鮮にできた国      高麗

14)日本の風土や感覚に合う平安の文化  国風文化

15)漢字を変形して音を表した文字    かな文字


16)紫式部が書いた貴族の文学      源氏物語

17)源氏物語を書いた人物        紫式部

18)清少納言の書いた随筆        枕草子

19)枕草子を書いた人物         清少納言

20)念仏をとなえ阿弥陀仏にすがる信仰  浄土信仰


21)藤原頼通の建てた宇治の阿弥陀堂   平等院鳳凰堂

22)上皇になり政治を行った最初の人物  白河上皇

23)上皇による政治          院政

24)平治の乱で源氏に勝った人物     平清盛

25)武士や貴族が治めた土地       荘園


26)法然が開いた浄土信仰の教え     浄土宗



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FdData中間期末過去問・中学社会歴史(Word文書版)
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過去10年間の過去問題集 高校入試 虎の巻

posted by あまがえる at 20:00Comment(0)歴史

飛鳥・天平文化の練習問題

飛鳥文化・天平文化に関する練習問題です。やさしく作りました。レベルを上げたい人は選択肢なしでやってみましょう。


.下から言葉を選んで(   )に入れよう。

・6世紀半ばに(  )が伝わりました。(  )や蘇我氏は仏教を広め、仏教をもとにした文化である、飛鳥 文化が栄えました。奈良に聖徳太子が建てた(  )が代表です。


・奈良時代になると、(  )を中国に送りました。唐の制度や文化を取り入れたこの文化を(  )といい、 聖武天皇の時代に栄えました 。この天皇は、仏教の力で国を守ろうと、国ごとに国分寺、国分尼寺を、都に

 (  )を建て大仏をおさめました。


・神話や伝承、記録をまとめた、「  」、「  」、「風土記」や、和歌をまとめた「万葉集」がつくら れ、天皇、貴族、農民のうたがおさめられています。 


*********************************

選択肢:  仏教  聖徳太子  法隆寺  遣唐使   天平文化   東大寺   古事記  日本書紀  

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答え ① 仏教 ②聖徳太子 ➂法隆寺 ④遣唐使 ⑤天平文化 ⑥東大寺   ⑦古事記 ⑧日本書紀


.(   )に下から選んで適当な言葉を入れよう。

・(  )半ばに仏教が伝わりました。聖徳太子や蘇我氏は仏教を広め、仏教をもとにした文化である、(  ) 文化が栄えました。奈良の法隆寺が代表です。


・奈良時代になると、(  )を中国に送りました。(  )の制度や文化を取り入れたこの文化を(  ) といい、 (  )天皇の時代に栄えました 。この天皇は、仏教の力で国を守ろうと、国ごとに(  )寺、 国分尼寺を、都に東大寺を建て(  )をおさめました。


・神話や伝承、記録をまとめた、「古事記」、「  」、「風土記」や、和歌をまとめた「  」がつくられ、天皇、貴族、農民のうたがおさめられています。 


*********************************

選択肢:6世紀  飛鳥  遣唐使   唐   天平  聖武   国分  大仏   日本書紀   万葉集

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答え ①6世紀 ②飛鳥 ➂遣唐使 ④唐 ⑤天平 ⑥聖武 ⑦国分 ⑧大仏 ⑨日本書紀 ⑩万葉集


.(   )に下から選んで適当な言葉を入れるか、問いに答えよう。

・仏教は6世紀半ばに( ア )から日本に伝えられたといわれています。聖徳太子を中心に①仏教をもとにした文化が栄えました。


奈良時代になると( イ )天皇は仏教の力で国を守ろうと、②国々に寺を建て、③大仏を作りました。この時代には④唐の文化の影響を受けた文化が栄えました。


(1)( ア )はどの国ですか。(   ) 

     唐  百済  ペルシャ

(2)( イ )の天皇はだれですか。(   )天皇            

     聖武  推古  桓武  

(3)下線①の文化は何とよばれますか。 (   )文化 

     天平  平安  飛鳥

(4)下線② の寺でないのはどれですか。(   )寺  

     国分尼寺  国分寺   延暦寺

(5)③の大仏がおさめられた寺の名前は? (   )

(6)④の文化を何といいましたか。(   )(   ) 

(7)(2)の天皇の持ち物をおさめた現存する倉を何といいますか。(   )    正倉院  平等院  荘園

(8)つぎのものを天平文化、飛鳥文化にそれぞれ分類しよう。

    飛鳥文化:(      )  天平文化:(      )    

    ア)奈良の大仏  イ)法隆寺の釈迦三尊   ウ)正倉院


答え(1)百済 (2)聖武 (3)飛鳥 (4)延暦寺 (5)東大寺 (6)天平文化 (7)正倉院 (8)飛鳥文化:イ、天平文化:ア、ウ


.つぎの問いに答えよう。

・奈良時代になると、天皇が国を治めるいわれを確かめるため、 ①神話や伝承、記録をまとめたものが作られました。 一方で、 ②天皇、貴族、農民の和歌をまとめたものがつくられました。 

(1)この時代の、①神話や伝承、記録をまとめたものでないものはどれですか。(   )

   ア)古事記   イ)日本書紀   ウ)風土記   エ)太平記

(2) ②天皇、貴族、農民の和歌をまとめたもの、は何すか。(  )


答え(1)エ (2)万葉集<br/>PR<br/><a target="_blank"  href="https://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=as_li_qf_sp_sr_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&index=aps&keywords=%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%80%80%E6%AD%B4%E5%8F%B2&linkCode=ur2&tag=amagaeru01-22">教科書トレーニング 歴史</a><img src="http://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=amagaeru01-22&l=ur2&o=9" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />



posted by あまがえる at 19:00Comment(0)歴史

最澄と空海 覚え方

平安時代の最澄と空海、このふたりの僧について混乱しやすいのでまとめました。少し難しめ(一部高校レベルを含みますので、そこは適宜省いてください)。


まずは最澄(伝教大師767-822)から

近江の国の生まれ

804年 唐に渡る 

805年 法華経中心の天台の教えを受け帰国 

比叡山延暦寺の建立・・・山岳仏教の開始  天台宗(台密) 

大乗戒壇の設置*(死後)・・・南都六宗から独立、日本仏教の中心に 

                   →それまで東大寺戒壇 

主著「顕戒論(けんかいろん)」「山家学生式(さんげがくしょうしき)」

特徴・・・中国天台に密教・禅・戒の要素を加えた日本独自のもの。

      法華経を最高権威とする。

後継者・・・円仁(えんにん):山門派(延暦寺)

       円珍(えんちん):寺門派(園城寺) 

      両者は対立し、この頃から密教の要素が加わる。


*)仏門に入る人はそれまで東大寺で仏の定めた戒律(守るべき定め)を受け(受戒)ていました。ここで鑑真(688?-763)から受戒を受けていました。聖武天皇も受戒を受けたとされています。


こうして出家して僧になろうとする人は、仏教の戒めや定めを学び、受戒を受けてお墨付きをもらわないといけなかったのです。


ところが最澄は独自の戒壇を設けることを主張し、やっと死後に認められました。浄土教の源信や鎌倉の新仏教の開祖たちもここで学びました。当然それまでの奈良を中心にした南都六宗の宗派からは反対されました。


そして空海(弘法大師、こうぼうだいし774-835

讃岐の国の生まれ

804年 唐に渡る 

806年 密教の奥義を究め帰国 

高野山金剛峯寺の建立・・・密教の中心  真言宗(東密)

東寺(教王護国寺)を嵯峨天皇から賜る

主著「三教指帰(さんごうしいき)」

特徴・・・秘密の呪法によって悟りを開くという密教。加持祈祷(かじきとう)で災いをさけ、現身のままで即身成仏(そくしんじょうぶつ)できると説く。→現世利益(げんぜりやく)の立場から、貴族たちの信仰を集める。


このふたりは遣唐使として同じ船に乗り唐に渡りました。最澄が37歳のときです。最澄のほうが7つ年上でした。のちに帰国後ふたりはそれぞれ密教の二大中心地を築いていきます。


真言宗のほうは真言密教として宮中などでも広く教えが広まり、国家密教としての地位が定まりました。また空海は身分に関係なく学ぶことのできた綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という学校を設立しました。


このふたり、遣唐使として乗った船も一緒ということからして志は似ていたわけで、ふたりの仲はどうだったのでしょう。興味深いですよね。さまざまネットや本にあるようですから夏休みの今、しらべてみてはどうですか。




posted by あまがえる at 21:00Comment(0)歴史

江戸時代の政治改革と飢饉

あと2~3週間ほどで1学期の学年末テストです。準備は進んでいるでしょうか。さて、今日は江戸時代の政治改革と飢饉についてです。


江戸時代には三大飢饉(ききん)といわれる大きな飢饉が起こっています。

享保の飢饉(1732

天明の飢饉(1783

天保の飢饉(1832

です。100年間の間にほぼ50年ごとに大飢饉があったことになります。このほかにも飢饉はありました。このうち天明の飢饉1783年の浅間山の噴火による気候の不順により、作物が被害を受けた大飢饉だったといわれています。飢饉はこの年から4年ほど続いたといわれています。


このうち二つの元号は皆さんもよくご存知の元号ですね。「享保の改革と天保の改革だね。」そうです。それぞれ徳川吉宗と水野忠邦による改革です。

享保の改革1716年~1745年の間

田沼の政治1772年~1786年の間

寛政の改革1787年~1793年の間

天保の改革1841年~1843年の間

です。各々の大飢饉はまさにこの改革のさなかに起ったことになります。


享保の改革の時には、それまで米のでき不出来によって年貢を決めていたのですが、過去の年貢の率を平均して課税するようになり、幕府の財政の安定をねらいました。


しかし、この結果4公6民だった租率が、5公5民担ったことから百姓の不満が高まり一揆が頻発しました。これに大飢饉が起ったのですからたまりません。一揆、打ちこわしが激化しました。ちなみに「公」は藩や幕府に納める分、「民」は農民に残る分です。


続いて田沼の政治のときには天明の飢饉が起こり、同じように一揆、打ちこわしが激化しました。そして田沼意次は失脚します。


寛政の改革ではこの飢饉からの復興を図ろうとします。飢饉に備えて囲米の制をつくります。農民の出稼ぎを禁止し村に返す政策も実行します。しかしこれらも一時的な復興に過ぎませんでした。本百姓は水のみ百姓へ、小作の貧農と富農地主に分かれる結果となります。


天保の改革でも、人返しの法といって都市への出稼ぎを禁止します。このことから水野忠邦は享保、寛政の改革を模範としようとしたことがわかります。農村の人口を維持しようという意図があったのです。しかしこの改革も失敗してしまいます。厳しすぎたことが原因とされています。



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中学 歴史を ひとつひとつわかりやすく。
posted by あまがえる at 19:00Comment(0)歴史

室町文化 練習問題

室町文化に関する練習問題です。

1.下から言葉を選んで(  )に入れよう。
(1)観阿弥・世阿弥の父子は、( ① )を完成させ、武士に愛好されました。能の合間には民衆の感情があらわれた( ② )が演じられました。

(2)将軍の足利義満は、京都の北山に( ➂ )を建て、8代将軍の足利義政は、東山に( ④ )を建てました。銀閣は、寺院の様式に武家の住居を取り入れた( ⑤ )で、床の間が作られました。

(3)宋や元から伝わった墨一色で、自然をえがく( ⑥ )が流行しました。有力者の子どもは寺で教育を受けるようになりました。絵入りの物語である( ⑦ )が好まれました。和歌の上の句と下の句を別の人がよむ連歌が行われました。足利学校には、( ⑧ )を学ぶ人が集まりました。
 
選択肢: 能 狂言 金閣 銀閣 書院造 水墨画 お伽草子 儒学


答え:①能 ②狂言 ➂金閣 ④銀閣 ⑤書院造 ⑥水墨画 ⑦お伽草子   ⑧儒学  

2.(  )に下から選んで適当な言葉を入れよう。
(1)( ① )の父子は能を完成させ、武士に愛好されました。能の合間には民衆の感情があらわれた( ② )が演じられました。

(2)将軍の( ➂ )は、京都の( ④ )に金閣を建て、8代将軍の(  ⑤ )は、( ⑥ )に銀閣を建てました。 銀閣は、寺院の様式に武家の住居を取り入れた( ⑦ )で、床の間が作られました。

(3)宋や( ⑧ )から伝わった墨一色で、自然をえがく水墨画が流行しました。有力者の子どもは寺で教育を受けるようになりました。絵入りの物語である( ⑨ )が好まれました。和歌の上の句と下の句を別の人がよむ( ⑩ )が行われました。足利学校には、儒学を学ぶ人が集まりました。

選択肢:観阿弥・世阿弥  狂言  足利義満   北山   足利義政   東山 書院造 元  お伽草子  連歌
 
答え:①観阿弥・世阿弥 ②狂言 ➂足利義満 ④北山 ⑤足利義政 ⑥ 東山 ⑦書院造 ⑧元 ⑨お伽草子 ⑩連歌

3.次の問いに答えよう。
(1)足利義満と義政がそれぞれ建てた建物の名前を何といいますか。  
   義満(  )、義政(  )
  ア)金閣     イ)銀閣    ウ)桂離宮

(2)金閣と銀閣の特徴をそれぞれ選ぼう。  
   金閣(  ) 銀閣(  )
  ア)公家の文化と武士の文化が融合した建物です。
  イ)寺院の様式に武家の住居を取り入れました。
  ウ)貴族の好みをあらわし、極楽浄土の世界を想像させます。

(3)銀閣に取り入れられた床の間とたたみからなる造りを何といいますか。(  )
  ア)校倉造       イ)寝殿造       ウ)書院造
(4)宋や元から伝わった墨一色で自然をあらわす絵画を何といいますか。(  )
  ア)水墨画       イ)装飾画       ウ)錦絵


こたえ (1)義満:ア、義政:イ(2)金閣:ア、銀閣:イ(3)ウ(4)ア

4.つぎの文の下線部の間違いを直そう。
(1) 観阿弥・世阿弥の父子は、狂言を完成させました。(  )
(2) 絵入りのものがたりである風土記が民衆に喜ばれました。(  )
(3) 銀閣は、寝殿造の代表的な建物です。(  )
(4)上杉氏がつくった足利学校では、陽明学が学ぶ人々が集まりました。(  )
(5)俳句の上の句と下の句を別の人がよむ連歌が行われました。 (  )

こたえ (1)能(2)お伽草子(3)書院造(4)儒学 (5)和歌


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教科書ワーク 歴史



posted by あまがえる at 18:00Comment(0)歴史